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天皇皇后両陛下は、7月6日から13日まで7泊8日の日程で、
国賓としてモンゴルを訪問されました。
上皇ご夫妻が平成の時代に始められた、慰霊の旅。
その精神を受け継がれた雅子さまは、重責を果たそうと奮闘される
皇后としての表情には、ご体調を懸念する周囲の不安をも
押しやるようなご覚悟が感じられる──。
公式訪問のきっかけは・・・、フレルスフ大統領の人柄は、
モンゴル国民の対日感情は、モンゴル抑留とは・・・?
知りたいことがたくさんありますよね。
ここでは、私も感動した「知られざる親日国モンゴル」
を紹介したいと思います。
歴代天皇で初めてモンゴルを公式訪問される両陛下
両陛下がフレルスフ大統領夫妻と会われるのは、
2022年11月に来日し、馬頭琴のコンサートを御所で共に鑑賞して
以来で、その際に大統領から両陛下に招待があったということです。
それ以外にも、重ねて招待があったそうです。
両陛下(日本)に対するモンゴル国民の感情は
「陛下、雅子さまー」。
歓迎式典に出席された首都ウランバートルのスフバートル広場。
カラフルな民族衣装「デール」に身を包んだ数百人の市民らが
両国国旗を振って出迎え、在留邦人からも歓声が上がった。
大相撲などを通し、両国民の間には近しい親密な感情が流れている。
日本の漫画やアニメが若者に人気!
「ONE PIECE」や「進撃の巨人」などの漫画が若者に人気。
日本の漫画やアニメが大好きだという大学生(19)は
「アニメから日本文化・日本語を学ぶことができます。ぜひモンゴル
をたくさん見ていただいて、両国関係が深まるきっかけになって
ほしい」と笑顔を見せた。
2011東日本大震災の時に、モンゴル政府職員全員が1日分の給与を義援金として寄付 能登半島地震にも!
モンゴル政府より寄付された義援金100万ドルは、
外国の災害に対する義捐金として過去最高額となりました。
2024年の能登半島地震による被害の発生を受け、モンゴル政府は
10万米ドルの支援を行うことを決定。
日本の牛丼チェーン(吉野家・松屋)店オープン
1号店「Yoshinoya the One(ザ・ワン)店」をオープン。
「牛丼」(並み1万3500トゥグルグ、大盛り1万4500トゥグルグ)、
「マトン丼」(1万3000トゥグルグ)、「テリヤキチキン丼」
(1万3500トゥグルグ)などを販売。
モンゴルの通貨単位はトゥグリク(TgまたはMNT)。
モンゴルの英雄であるチンギスハーンが描かれた紙幣が
流通しています。 他にも1000tg未満ではスフバートルが
描かれています。 硬貨は現在は使われていません。
2025年5月29日時点のレートは1 JPY = 24.6314 MNTです。
水 1本(500ml) 120トゥグルグ=50円
ビール 1本 120トゥグルグ=50円
レストラン 13,000トゥグルグ=500円
牛乳 1リットル 2,000トゥグルグ=80円
現地通貨トゥグルグの円換算目安は0を一個とって半額にする。
例)10000Tg=500円
入国時の両替は3万円くらいでも大量の紙幣だとか・・・。
モンゴルってどんな国~?
モンゴルの人口は約340万人(2024年時点)と
世界でも人口密度が低い国の一つです。
モンゴル族が大多数を占め、少数民族もいくつか、
それぞれ独自の文化と伝統を保持しています。
国民的英雄「チンギス・ハーン」
(幼少名 テムジン)
モンゴルの歴史上で、
チンギス・ハーンは中心的な
存在です。
モンゴルの大草原では、大小様々な集団に分かれてお互いに
抗争していた遊牧民族を一代で統一し1206年強大な帝国の
基礎を築きました。
中国・中央アジア・イラン・東ヨーロッパなどを次々に
征服したチンギス・ハーンの歴史を次世代や子どもたちに
紹介することを目的としたのがこのアニメです。
照ノ富士関に2022年11月に長男、照務甚くんが誕生
![横綱・照ノ富士 引退会見 [写真特集1/9] | 毎日新聞](https://cdn.mainichi.jp/vol1/2025/01/17/20250117mpj00m050061000p/9.jpg?1)
照務甚(テムジン)くんは、
1歳7カ月にして体重17キロ。
1歳児の平均体重は10キロ前後
とされている中で、すでに5歳児並みの
ビッグサイズだ。
元力士「逸ノ城」はモンゴル遊牧民出身!
逸ノ城は、2023年に電撃引退を発表したお相撲さんです。
これまでにモンゴル力士は多数いるが、遊牧民出身は逸ノ城が
初めて、移動式のゲル(テント)で暮らし、
家畜を追った幼少時代。
13歳からモンゴル相撲に取り組み、 2010 年に横綱照ノ富士
らとともに来日して鳥取城北高に相撲留学。
逸ノ城は、モンゴル・アルハンガイ県
バットツェンゲル村生まれ。
大草原広がる自然豊かなところ.
《モンゴルの地域の分け方》は、
日本の県にあたるアイマクが21設置され,、県には郡にあたるソムが347、さらにその下に村にあたる1681のバグがある。各ソムの人口は3,000人ほどで、バグは50 – 100家族ほどで構成されている。
家族と一緒に遊牧民の暮らし
一家は馬50頭、牛30頭、羊400頭、ヤギ100頭を飼っており、
遊牧民にとっては家畜は一番の財産なので、
家畜を狙っている狼との闘いの日々なのだとか…
逸ノ城は子供の頃から、暴れて言うことを聞かない仔馬や羊が
いるときは、ひとりで取り押さえ抱えて移動させたりしていた
そうなんです!
生活の中で自然に身についていった体力、腕力、脚力
他にも、木を伐り出したり、川へ水を汲みに行ったりしていた
ことが今の体の基本になっているそうなんです。
生活していることがトレーニングの連続のようなものだったと
いうことですね!
ゲルでは水はどのように手にいれるのか?
遊牧といってもいきあたりばったり草原を移動するのでは
なく、水の手に入りそうなところへ行きます。
移動先にはもともと井戸が掘ってあったりするとか。
もちろん、どこに行くにせよ、水が貴重なのは確かですよね。
天皇陛下、水関連施設を訪問 日本で資金人材技術の協力
天皇陛下はモンゴル訪問中、首都ウランバートルで、
水の供給源「ガチョールト水源」を見学された。
モンゴルは日本の資金、人材、技術の協力を得て、
首都の人口増加に対応する水の安定供給を進めている。
天皇陛下がご家庭や公務と並行して、研究を続けているのが
「水問題」です。
《1997年~2006年》
「中央水源ステーションの設備更新プロジェクト」が実施
《2004年~2006年》
上流水源ステーションにおいて
「設備の改修・改善プロジェクト」が実施
《2011年~2014年》
上記事業の継続としてバヤンズルフ区第20ホロー(行政区)で
「ガチョールト水源」プロジェクトが、日本政府の
無償資金協力(総額3000万米㌦)により実施された
ガチョルト地区における配水池建設計画箇所
その結果、
⓵ ウランバートル市民、ゲル地区の39万人と集合住宅の
4万3500人に安全で清潔な飲料水を供給する環境が
整備された。
② 「ガチョールト水源」プロジェクトは、
ハイラースト、チンゲルテイ、ドローンボ―ダル、ダリエフ、
ダンバダルジャー方面のゲル地区に飲料水を供給し、
地区の都市整備・住宅開発上で重要な意義を持つ
インフラ事業となった。
両陛下、抑留者慰霊碑に供花
両陛下は公式訪問中のモンゴルの首都ウランバートル郊外に日本政府
が建立したダンバダルジャーの丘で、抑留されて亡くなった日本人の
慰霊碑に供花し、追悼された。
海外抑留地での天皇による慰霊は初。
日本人死亡者慰霊碑とは?
竣工年月日
モンゴル国ウランバートル市
ダンバダルジャーの丘
約9,000m2
敷地内には段差を利用して、
⓵ 入口・下参道、
② 祈りの広場、
③ 慰霊碑・基壇の3つの区画
祈りの広場の円の形は「日本」を象徴、中央にモンゴルの地図を
刻んで収容所跡地を表示し、モンゴル国内で亡くなった
全ての抑留死亡者への慰霊の意思を表しているもの。
慰霊碑・基壇がある場所は、ウランバートル市街に向かって
景色を一望出来る。
日本人抑留者は、今も使われているモンゴルの政府庁舎や国立オペラ
バレエ劇場などの建設に従事、厚労省は1994~1999年、日本人墓地16カ所
から遺骨約1500柱を収集し、日本に帰還させました。
維持管理には
厚生労働省がモンゴル赤十字社に慰霊碑の掃除、除草巡回など委託。
現在は植樹活動が行われ、花壇の整備なども進められているので、
夏は色とりどりの花々に囲まれています。
バスでアクセスすることができ、ウランバートル市内循環バス
「ダンバダルジャー」路線、終点「65-ын зогсоол」というバス停
から徒歩15分ほど。
日本語のパンフレットも配布されています。
年中無休で、24時間いつでも慰霊参拝受付しています。
ウランバートル市内の移動方法 市営バス UB Smart Bus

プリペイドカードを購入と、現金払いがあり、1回どこまで乗っても
市内は1000トゥグルグ(日本円で大体50円くらい2025年3月)。
乗り入れ口に料金箱があり、そこに入れます。
年々、料金は値上がりしているようなので、ご確認を。
日本・モンゴル外交関係樹立50周年までのみちのり
日本では
1965年まで、モンゴルでの日本人死亡者の墓地について知らかった。
その原因は⓵ 両国間に外交関係がなかった事
② 蒙古襲来(日本とモンゴル国との関係)
蒙古は1268年に使節団を日本に送り込み、日本にモンゴル帝国に臣従することを求めたが使節団が追い返されたことで、モンゴルは対馬へと侵攻を開始した。
2回目の侵攻では、既に襲来に備えて周到な準備をしていた日本人は侵攻軍に
大きな打撃を与えた。
1965年にウランバートル開催の国連セミナーに出席していた
日本の外交官がモンゴル外務省に日本の捕虜埋葬地を訪問する許可を
懇願し、モンゴル外務省の役人が、彼らをダンバダルジャーに
案内したのです。
日本の外交官たちは、墓地の写真を撮り、自国の外務省に報告、
その際に拾った現地の石を厚生省に届け、その石は小さく割られて
全国の遺族へ送られました。
第一回墓参団(1966年)モンゴルに到着
この墓参団には、遺族8名と
国会議員2、外務省職員2名、厚生省員2名、記者代表1名で結成。
国会議員の中からモンゴルに参墓団を派遣する事が提案され、元外務大臣で
未帰還者同盟会長の藤山愛一郎議員は、ツェデンバル(1952年から1984年までモンゴル人民共和国を率いたモンゴルの政治家)首相にモンゴルで消息不明になった情報提供を求めた手紙を送った。ツェデンバル首相からの歓迎の手紙を受け取り、日本の厚生省が率いる墓参団一行が1966年にモンゴルに到着した。
この訪問を通じて、二国間外交関係の設立に向けた協議が開始され、
日本・モンゴル両国が外交関係を樹立
1972年に外交関係を樹立した後、冷戦中の様々な制限があったが
交流の道を歩みました。
1990年にモンゴルは、民主化。
日本は、このモンゴルの勇気ある挑戦を率先して支援し、以来、
両国の関係は飛躍的に発展し、人の往来も活発化していきました。
そして、2022年、両国は外交関係樹立50周年の慶節を迎えました。
モンゴルというとチンギス・ハーンが建てたモンゴル帝国、
日本に攻めてきた元寇などの歴史と共に、大相撲で活躍するモンゴル
出身の力士たちのことが思い浮かびます。
また、大草原で生活する遊牧民や彼らの住居であるゲルなども知られ
ています。
しかし、それ以上のことはイメージできないかと思います。
今回は近くて遠い国、モンゴルについてご紹介しました。