道祖神は古くから村の境界や峠といった内と外を分ける場所、
十字路や三叉路などの道が集まった場所に置かれてきました。
お地蔵さんが道端にいるのと似ているようでちょっと違う、
道祖神の真の姿にせまっていきましょう。
道祖神はどのような意味を持ち、
どんなご利益をもたらす神様なのでしょうか。
下記クリックで好きな項目に移動します☆
人々の生活に密着した民間信仰の一つ
多くの人が知っている、キリスト教や仏教には開祖がいて、
教典というものが存在しますが、
世界中には開祖や教典などが存在していない宗教も数多くあるんです。
民間信仰というのは、きわめて原始的的な信仰で、
中心的な信仰は「祖先の崇拝」と「自然信仰」です。
どちらも一般庶民の生活や日常の習慣に基づき、
自然発生的に生まれたもので、
やっぱり、開祖や教典などは存在していません。
その中のひとつが民間信仰です。
道祖神は甲信越と関東地方に多く、
長野県安曇野市は市町村単位で日本一多く、
石道祖神だけで約400体あります。
長野県松本市にも約370体あります。
石造物の特性とは?・・・ 「なぜ石か?」
本小松石は、約40万年前に箱根火山の噴火により、
流れ出た溶岩が海に押し出されて、急速に固まって形成された石で、
日本で採れる石材の最高級品の一つとして、とても有名な石です。
石が使われたのはなぜ?
⓵ 入手しやすく、庶民が建てる際に深く関わることができた。
② 屋外にのざらしで風雨にさらされても、いつでも拝める。
③ 石であることが信仰の対象となった。
④ 後世へ永く残すことができた。
そこに住む民の願いの総称となった道祖神
あそこの村はあんな道祖神を作って、潤っているらしいぞと。
ならばうちはもっと大きな道祖神を作ろうとなるわけです。
ーー道祖神は、経済力や豊かさの証にもなったわけですね。
五穀豊穣を願った道祖神でした。
道祖神の御神徳は?
「道祖」の語源は中国に於ける旅行安全の神「行路神」の名前から、
人の往来が今ほど活発でなく村で生涯を終える人が多かった昔。
作物に害をなす虫や疫病を持ち込むのは、
村の外からやってくる渡り鳥や旅芸人でした。
外から悪いものが入って来るのを防ぐ為、
塞の神(さえのかみ)との呼び名もあります。
村里の入口で、外から襲う害虫・疫病・悪霊などの
災厄の侵入を防ぐ結界、境の神・道の神。
旅の安全・縁結び・子授け・安産の神として広く信仰され、
将来を担う子供を守るための祈りの場となりました。
子供の病気や悪いところを治してもらうために、
道祖神にお祈りし、牡丹餅を備えたり、体の悪い部分をなでつけたり、
さすったりしました。
このように、とてもありがたい存在だとされているのです。
信州の道祖神
信州の道祖神といえば、双体道祖神で
全体の約60%ほどを占めているそう。
中でも「双体道祖神」といわれる道祖神は、
男女が仲睦まじくしている姿が特徴的。
現在では縁結び、恋愛成就ともいわれています。
道祖神って彫った人は誰?
自分たちが掘るのではなくて、石工(いしく)さんに注文。
江戸時代、高遠藩(現伊那市高遠町)の最盛期には
約1,300人の石工集団がいたといわれています。
昔は城を築くための石垣職人だったけれど、
戦がなくなって、築城の必要もなくなり、
石工たちは道祖神に特化するようになったそう。
石工が長野県内外に出張して、双体道祖神を作ってまわったと。
長野県には約3,000の双体道祖神が残っています。
双体道祖神に込められた祈りとは?
村の人たちがお金を出し合って、
石工さんをもてなしながら彫ってもらう。
当時の人からすると簡単なお金ではなかったはず、
だからこそ、道祖神には祈りが込められているんですね。
昔は病気も原因が分からなかったし、災害も多かったし、
村人には守り神みたいなものが必要だったのでしょう。
お寺や神社を建てるだけのお金はない集落も多いし、
丸く削った石や奇石を村の入り口に置いたりして、
双体道祖神のはじまり
そのうち人々の繁栄を願う意味を込めて
比較的仲睦まじい姿の男女の姿が掘られるようになったのは、
夫婦が仲よければ子供も生まれて、村の繁栄にもつながると。
双体道祖神にはそんな祈りが込められていたんですね。
もちつき道祖神・・・《穂高神社》
穂高神社境内にあった道祖神。
餅つきをしている。
餅つきというのは、
男女の睦事を
意味するという解説付き。
なるほど!