長野松代大本営【象山地下壕、舞鶴山地下壕】を巡る!

 

松代は六文銭で有名な真田家がこの地を城下町にしたところです。

ここに日本の終戦9か月前から造られた巨大なトンネル網は貴重な

歴史遺産です。

これを維持していくには多くの費用がかかるのに無料で公開されている

松代地下大本営をできるだけわかりやすくご紹介しますね。

下記クリックで好きな項目に移動します☆

大本営とは?

 

戦争のとき、天皇のもとで作戦を練り、戦争を指揮する日本軍の

最高司令部のことです。

敗戦色の濃くなった日本は東京にあった大本営を松代に移転しようと

計画し、大地下壕を掘ったのですね。

なぜ、松代に?

 

最初の候補地は八王子だったが、「信州あたり」で探すように

命じられ、専門家と信州を回り、松代を有力と判断、ボーリング調査を

行い、硬い岩盤であることを確認,

①地下壕に適した頑丈な岩盤がある。
②工事がやりやすい十分な広さがある。
③近くに飛行場がある。
④天皇がお移りになる事を考慮すれば、風格のある環境である

 

設計段階になると、計画は松代の象山、舞鶴山、皆神山に地下壕を掘り

天皇皇后の御座所や大本営だけでなく、政府省庁なども入れる

大規模なものになったのです。

昭和19年9月には当時の陸軍大臣「東条英機」から着工命令、

すぐに資材搬入を開始

10月 朝鮮人労働者用の飯場ができ、事実上の工事が始まり、

11月11日に地下壕を掘削する第一号発破が象山でかけられたのです。

 

協力させられた地元の苦しみ

 

この地域は養蚕が主産業、桑畑が広がる農地だったが500戸のうち

130戸が撤去させられ、死活問題になったが、抵抗できなかった

そうなんです。

(舞鶴山)

また、この翌年、1945年(昭和20年)3月に天皇御座所の

着工命令も出され、この地区の124所帯が軍から強制立ち退きを

命じられ、地元住民も大きな犠牲を払ったのです。

「松代大本営」工事の主力!朝鮮人労働者

 

昭和19年11月11日から翌20年8月15日の終戦の日まで、

約9か月の間に建設されたもので、突貫工事で全工程の約8割が完成、

この費用は当時の金額で1億とも2億ともいわれ、

多くの朝鮮人や日本人が動員されたといわれています。

主力は約7千人以上の朝鮮人労働者で建設会社の西松組、鹿島組が

請け負っていたもの。

朝鮮人労働者の日当、生活【食事、住居、労働】

 

元、西松組の社員だったある朝鮮人の証言で軍からの、日当は2円10銭で

西松組や更に下請けの親方がピンハネし、その上、飯代などが引かれ、

労働者には80銭か90銭しか渡されない仕組みであったそうです。

宿舎

地面に屋根を立て掛けただけのもの

食事

コーリャンや大豆など粗末な食事で下痢と空腹でも二交代でトンネルを

掘ったそうです。

工事の様子

● さく岩機で岩に穴をあけ、ダイナマイトを仕掛け、

導火線に点火して爆破させ、

● 岩がとんでくるのを岩陰に体を寄せて避け、崩れてきた

大きな岩をツチやノミで小さく砕き、

● 石クズはトロッコに載せたり、袋に詰めたものを長めの棒で

二人でかついで壕の外に運び出し、

● 最先端の最も危険なところで働いたのは朝鮮の

人たちでした。

多くの死傷者が出た過酷な作業

 

落盤やダイナマイト事故がしばしば起こり、多くの死傷者が

出たとの証言で誰が・いつ・どのようにしてなくなったのか_。

あるとき、仲間の4人がふっとび、それらの遺体を片付けていて

一人の頭の部分が見つからず、上を見たら岩の割れ目にはさまっていた。

こんなこともあったんだそうです。

 

(隣には歴史館)

象山地下壕の隣には、「もうひとつの歴史館・松代」があります。

ここには地下壕の作成工事に携わった労働者の暮らしが再現

されたり、写真やパネルが展示され、当時の生活がわかります。

ガイドさんもいます。

  • 開館期間:2020/3/20~11/23
  • 開館時間:10時~16時
  • 定休日:火曜(夏休み期間は第3火曜を除き開館)。
  • 料金:
    • 一 般:200円
    • 中高生:150円
    • 小学生:100円
  • 貴重な歴史資料が多数
  • よくわかる地下壕全体図
  • 削岩機(実物を持てます)
  • トロッコ・モッコ・カンテラ

象山地下壕の見学につぃて

 

総延長6㎞弱のうちの、500メートルが一般公開されていて

入壕料は無料、午前9時から午後4時までの間、見学可能です。

(午後3時半までに入壕)  予約不要です。

地下壕の前のプレハブの受付でどこから来てと見学の

人数を伝えヘルメット着用で入壕します。

車椅子の貸し出し、見学もOKです。

バリアーフリー対応のトイレもあります。

壕内では飲食、喫煙は禁止されています。

休壕 毎月第3火曜日(祝日の場合はその翌日)

及び、年末年始(12月29日から1月3日まで)

アクセス

 

上信越自動車道 長野インターからすぐ。

代官町駐車場  地下壕まで徒歩5分 無料

 

JR長野駅善光寺口(のりば3) 「松代高校行き」約30分、

【松代八十二銀行前下車】徒歩約20分

八十二銀行からの徒歩ルートはこちら

【山寺常山邸(やまでらじょうざんてい)】必見スポット!

 

徒歩ルート、代官町駐車場の途中にある【山寺常山邸】

山寺常山は真田藩の信望が厚く、藩主の側で政務を補佐していました。

表門、書院、蔵、庭園が残っています。

邸宅内も自由に見学できます。

特に茶室の庭が見える円窓がステキです。

武家屋敷で心に残る記念写真を 長野市松代の山寺常山邸が人気の撮影スポットに|信濃毎日新聞デジタル 信州・長野県のニュースサイト

 

開場時間:9:00~17:00
 入場料:なし

 

【舞鶴山地下壕(まいずるやまちかごう】

 

松代の地下壕は3か所で進められ、

各 省庁は【象山(ぞうざん)】

軍の司令部は【皆神山(みなかみやま)】

御座所と宮内庁は【舞鶴山(まいずるやま)】

完成前に終戦を迎えたとき、75%程度が完成、

皆神山地下壕は崩落が激しく、非公開になっています。

 

舞鶴山地下壕は気象庁の地震観測所に活用され、

地下壕の上には長方形の細長い平屋が造られています。

これは敵から発見されにくいように屋根に土をかぶせられる

ようにするためだそうです。

 

3つの建物からなり、

第一庁舎は天皇の御座所。
第二庁舎は皇后の御座所。
第三庁舎は宮内庁の庁舎として利用される予定でした。

写真

 

15畳ほどの広さです。

 

空襲の時、御座所から避難するための階段、皇后の御座所からも

延びており、

途中で階段が合流、さらに奥へと下がっていくという構造

見学について

 

こちらは庁舎の外から自由見学です。

見学日 土日祝日も含めて通年可能

見学時間 終日

駐車場 庁舎付近

 

アクセス

 

上信越自動車長野インターから10分

JR・長野電鉄長野駅から路線バス「善光寺口3番乗り場」で

約40分 「松代高校バス停」下車 徒歩約20分

バス停からは下記のマップをご覧ください。

松代地震観測所

1990年から一部が公開されるようになりました。

なかなか真実が明らかにされない中、地元の高校の郷土研究班が

調査を開始、市民と共に公開を求めたのがきっかけです。

また、壕内を訪れる人たちへの案内をボランティアで行っています

ABOUT ME
yumiko
パソコン初心者のシルバーエイジです。自分で言うのもおかしいですが、それほど世の中の常識にとらわれることなく前向きなほうです。言い換えればマイペースです。猫2匹と暮らし、近所の犬とも無条件の信頼でつながっています。