信州安曇野【貞享義民記念館】義民たちが命をかけた今も伝わる人への思いやり!

 

「貞享義民記念館」(じょうきょう ぎみん きねんかん)

江戸時代、飢饉に苦しみ、年貢にあえぐ農民達を

救わんと立ち上がった人々。

彼らの心を今に伝えるべく、貞享義民記念館は建てられました。

百姓一揆史上、稀にみる多くの犠牲者がでました。

入館料が安いわりには凝った趣向の展示で思わず見入ってしまう

そんな記念館です。

松本、上高地、高山方面に行かれる機会があったら

ぜひお立ち寄りください。

下記クリックで好きな項目に移動します☆

生きる権利を主張して戦った人達、その義民の歴史が此処にある

 

となりの越後の米どころと違い、

信州は平坦な地域が少なく、山に囲まれ傾斜地が多い地形、寒冷で

降水量が少ない気候など、米づくりにとって決して恵まれていると

言えない条件の中で、米づくりが営まれてきました。

義民 (ぎみん)とは、 民衆 のため一身を捧げた人のことで、

飢饉 などで人々が困窮しているときに 一揆 の首謀者などとなって

私財や生命を投げ出し活躍した 百姓 のことで、

ここでは多田加助のことを指します。

貞享騒動の起こりと経緯・・・年貢のための米作り

 

 安曇野(あずみの)の

貧水地帯の水田は、「こぼれ」という品種の米を作付けしていました。

「こぼれ」は風害に弱く、味も劣るという低品質の米でしたが、

日照りに強く、悪い条件の水田に作付けしても生育が早いという

特徴があり、収穫量の多い米としてこの地域では重宝な品種でした。

加助達の時代、この地域は水争いも起きるほど水不足に悩まされていた。

こぼれ米と貞享騒動

 

  ところが、この「こぼれ」はモミの先から出ている長くて鋭い毛が

付いており、このことが大変な騒動を起こす原因となりました。

 当時、松本藩では年貢米はモミ納めであり、1俵は5斗3升、

また、その5斗3升のモミをすって玄米にしたときには

3斗なければならないと規定されていました。

  ところが貞享3年(1686)、その年は不作でしたが、これからは

1俵の籾から玄米が3斗5升取れるように収めよというお達しが

出たのです。

周辺の他の藩は、1俵あたり玄米2斗5升でした。

  玄米を多くするためには、「こぼれ」特有の長く鋭い毛を取り除き、

俵にぎゅうぎゅう詰めにしなければなりません。(のぎふみ磨き)

モミを桶に入れ、わらじを履いて踏みつけるのです。

年貢を納めるために米つくり

 

農村の疲弊ははなはだしく、当時の農民の米作りは、

食べるためのものではなく、年貢を納めるためのもので、

農民は正月とお祭、お盆、その他の祝い事の時のみしか食べられなかった

そうです。

「多田加助」たちが差し出した5か条の願いとは

 

農民
農民
百姓とて人間だ、このままでは安心していきていけない

 

加助と考えを同じくする仲間が集まりました。

「ここはお奉行様に直接訴え出る他はあるまい」

「越訴(おっそ)はご法度だ」

「黙っていてはなにも変えられない」

相談はまとまりました。

当時、百姓の藩への訴訟の手順は以下のようになっていました。

百姓 ⇒ 庄屋 ⇒ 組手代 ⇒ 組代官 ⇒ 郡奉行 ⇒ 家老 ⇒ 藩主

越訴(おっそ)

貞享騒動では、郡奉行所に訴え出ています。

当時、この手順を守らない越訴は禁じられていて、これを犯したものは、

たとえ、訴訟内容が道理にかなっていても処罰されたそうです。

5か条の願い

 

⓵ のぎふみ磨きをやめてほしい。

⓶ 年貢を2斗5升にしてほしい。

③ 年貢の5%の大豆での納めは米値段で取ってほしい。

④ 藩が業者に売る米の運搬は藩境までにしてほしい 。

⑤ 藩が雇う雑役労働者の給金はちゃんと払って欲しい。

当時の松本藩主は

 

3代藩主「水野忠直」でちょうど江戸参勤中のことでした。

松本藩の領主は譜代大名で、幕府の要職に就くための出費も多く、

参勤交代などの費用もかかり、お金が十分にあるとは

いえなかったんですね。

百姓一揆が幕府にばれるとなぜいけないのか?

 

松本藩内で一揆が長く続いていると水野はうまく治めていないのでは

ということで大名を辞めさせられてしまいます。

どうしてあんなに多くの人たちが犠牲に?

 

28名もの人が犠牲になりました。

死罪にはならなくても追放とか永牢などに処せられた人もいました。

罰の厳しさは逆に藩の方が百姓の怒りに恐れを感じていたのですね。

貞享義民記念館の見学

 

ふるさと創生事業の承認を得て建てられました。

当時の竹下登首相がはじめたふるさと創生事業』は、

市町村に1億円を交付し、使いみちは自由という政策。

「自ら考え 自ら行う地域づくり」をテーマに,自主的に地域おこし.

活動を行っている団体・個人を応援。

加助達義民の業績は単に「年貢軽減のため」にとどまらず、

「百姓とて人間だ。人間として安心して生きたい。」と真に

願ったことにあります。

これを後世に伝え、安曇野の大切な歴史を永続的なものにしていくこと

で、「ふるさと創生事業」の一環として「人間として生きる権利の主張」

をテーマに設立されたもの。

 

先にシアターの上演をみて知識を得ると展示物を理解しやすいです。

轟音と共に上映が始まります。(約20分間)

庭園の散歩も可能、立派な建物、避難場所にも指定されています。

地元住民の方々が義民たちの功績をしっかり遺していこうという

気持ちが伝わり、地味ではあるが満足度の高いスポットです。

 

冒頭の画像をご覧ください。

ハの字に設計された建物には、義民達が来館されたお客様を両手を広げて

歓迎しよう、との意味が込められており、 外壁のタイルは、騒動に

参加した1万人の百姓たちを象徴、硬いタイルをがっちり組んで

あるのは、「上からの権力には潰されないぞ」という義民の意志の強さを

表しています。

ホール天井は蓑笠の笠を模したもの。

内装

 

信州・安曇野
貞享義民記念館
郵便399-8101 長野県安曇野市三郷明盛3209
Tel.0263-77-7550 Fax.0263-77-7551

開館時間 午前9時から午後5時まで シアター上映は午後4時30分まで
開館時間・休館日
休館日 毎週月曜日 月曜日が祝祭日の場合は開館します。
その場合はこの日以後の祝祭日に当たらない日を休館とさせていただきます。
年末年始(12月28日から翌1月4日)

個人 310円(高校生以上)
・中学生以下の方は無料
・障害者手帳をお持ちの方と介助者1名は無料
団体(20名以上) 200円

ABOUT ME
yumiko
パソコン初心者のシルバーエイジです。自分で言うのもおかしいですが、それほど世の中の常識にとらわれることなく前向きなほうです。言い換えればマイペースです。猫2匹と暮らし、近所の犬とも無条件の信頼でつながっています。