明治丸は、明治政府が英国グラスゴーのネピア造船所に燈台巡視船用にと
発注し、1875年横浜港に到着し、完成から150年を迎えました。
豪華仕様の新鋭船で、本業の燈台業務ばかりでなく、明治天皇はじめ
多くの高官が乗船しロイヤルシップの役目も兼ねていました。
当時の最優秀船であったので小笠原が日本の領土になるのに貢献、
関東大震災や、昭和20年の東京大空襲では、被災した多くの住民を
収容し、災害救援にも貢献しています。
この記事ではそんな明治丸150年の航跡を追ってみました。
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明治丸
住所〒135-8533
東京都江東区越中島2-1-6 東京海洋大学越中島キャンパス内
Tel 03-5245-7360
《公開》火木 10:00~15:00 (祝日の場合休館)、
第1・3土曜日公開 10月から3月は10:00~15:00
4月~9月は10:00~16:00まで公開
年末年始は休館閉館
時刻の30分前迄の入館
また明治丸内部も自由見学は不可、
ボランティアガイドさんによるガイドツアーに参加しないと
入ることはできません。所要時間は1時間程度
《アクセス》
越中島駅から徒歩で2分(JR京葉線,武蔵野線)
門前仲町駅から徒歩で10分(東京メトロ東西線 都営大江戸線)
月島駅から徒歩で10分(東京メトロ有楽町線、都営大江戸線)
「海の日」のルーツ
明治9年、明治天皇が東北・北海道巡幸(じゅんこう)の際、
青森から乗船され函館を経由し7月20日に横浜に無事到着されたこの日を
記念して昭和16年に「海の記念日」が制定され、
平成8年に国民の祝日「海の日」となりました。
小笠原諸島の領有に貢献

1875(明治8)年、英国との間で小笠原諸島の領有権問題が
生じたため、
明治政府が小笠原の再開拓着手を決定し、実情探査のため明治丸は
日本政府調査団を乗せて小笠原諸島に向けて横浜港を出港します。
島民に開拓再開と日本国による統治を宣言し、了承を得ます。
それを知った英国公使は、それに対抗して翌日、軍艦を小笠原に
向かわせますが明治丸の船足は速く、英国軍艦より2日早く父島に到着。
そのおかげで日本は小笠原諸島領有の基礎を固めることができたのです。
」
19世紀になって欧米で捕鯨が盛んになると、寄港地として
重要視されるようになります。
小笠原の開拓のはじまり
ナサニエル・セイヴァリー(1830年頃)は、初めて小笠原諸島に
移民したとされるアメリカ人で、日本領有時に父島に居住していた
島民開祖の一人。
イギリスが小笠原諸島への入植を計画していると聞き、参加を決意。
当初の入植者は欧米出身者が5人、
ハワイなどの太平洋諸島出身者が25人でした。
彼らは農業や漁業を営み、捕鯨船に新鮮な食糧、水、薪などを提供する
港を拓き、生計を立てていきました。
セイヴァリーがそれらのまとめ役となりました。
ペリーも父島に立ち寄る
一筋縄ではいきませんでした。
諸外国が「わが国が最初に見つけた」、
「領有を宣言したのはこちらが先だ」と言い出したのです。
そしてアメリカ海軍のペリーが日本来港の途中に父島に立ち寄り、
セイヴァリー(アメリカ人の島民開祖の一人)をアメリカ政府の
代理人として、小笠原諸島の領有を宣言します。ですが、
そして最初から入植していた欧米島民も日本に帰化し、
セイヴァリー家は「瀬堀」と呼ばれるようになりました。
太平洋戦争後 アメリカの統治下に
太平洋戦争が開戦。
小笠原諸島の島民(約7000人未満)は日本本土へ強制疎開されます。
戦後はアメリカの統治化となり、欧米系の住民以外は帰還が
認められなくなりました。
しかし、旧島民が小笠原島帰郷促進連盟を結成、日本領土への復帰を
求めていくことになります。
このままアメリカ領となる可能性もあったのですが、
現在は他民族も共生する、日本でも独特の文化を持つ島となっています。
小笠原諸島は 約30の島々で構成され、
行政上は東京都小笠原村に属する。
2011年に国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界自然遺産に
登録されました。
都心と原則、週1往復(繁忙期は2往復)の定期船「おがさわら丸」が
唯一の交通手段で、父島まで片道24時間。
現在の東京海洋大學の係留練習船となる

《灯台巡視船「明治丸」が竣工した日 7月20日》
約20年間、燈台巡視船として活躍した明治丸は、明治29年に
商船学校(東京海洋大學の前身)に譲渡され、
明治31年3本マストの帆船に改装され、係留練習船として昭和20年まで
の約50年間に、学生5000余人が実習で育ちました。
《最後に》
「明治丸」を保存・管理していくには、多くのひとに「日本丸」を
知ってもらうことが大事です。
明治天皇の「御座所」やサロンなど内部をガイドさんと一緒に
見学できます。
外のデッキからも見学可能。
日本に現存する唯一の鉄船で、鉄船時代の造船技術を伝える貴重な遺産と
して国から重要文化財の指定を受けています。
横須賀で展示されている戦艦「三笠」やみなとみらいの「日本丸」と
比較しても明治丸もこれらの船に優るとも劣らない価値があります。
アクセスがよいのでぜひ、お越しください。