催し物

2000年前の貴重な「ポンペイ」の日常!特別展東京 国立博物館で開催中!

 

紀元後79年、ナポリ近郊のヴェスヴィオ山で大規模な噴火が発生、

ローマ帝国の都市であったポンペイが火山に飲み込まれました。

火山灰で埋没した古代の居住地には、

当時の人々の生活がその当時のまま封印されています。

これらを解き明かすべく、

ポンペイでは18世紀から現在に至るまで発掘が続いています。

1月14日から開催中の国立博物館では、

モザイク、壁画、彫像、工芸品、食器、調理器具など、

日用品にいたるまで様々な発掘品を展示。

古代ローマと、市民の生活をよみがえらせます。

ポンペイ遺跡の膨大な遺物を収蔵するのがナポリ国立考古学博物館で、

この展覧会は、同館が誇る名品を展示、

「究極のポンペイ展」ともいえる展覧会となります。

2000年前に繁栄した都市と、住民たち。

発掘資料の魅力を目の前で見ることができます。

 

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ポンペイはどんなところだったのか?

ポンペイは港に届いたローマへの荷物を

近くのアッピア街道に運ぶための重要な拠点となり、

以後は商業が盛んで栄えた港湾都市でした。

 

アッピア街道は・・・

 

ローマから南東に一直線に延びている道で、

軍隊を派遣するための軍事道路。

だからこの街道も、

とにかく早く目的地に到達するためには、

真っすぐに道路を走らせるという形で、

今のアッピア街道ができています。

火山噴火まではぶどうの産地で、

ワインを運ぶための壺が

多数出土されていることから、

主な産業はワイン醸造だったことが

推定されます。

 

碁盤の目に通りがあり、

街の目抜き通りはきちんと車道、

歩道 が分かれていました。

真ん中の車道にはかつて馬車が走り、

横の歩道には沢山の人が行き来していました。

雨の日に歩行者が横断する際足を濡らさぬよう、

飛び石まで設けられていたのです。

イタリア-ナポリ-ポンペイ-遺跡-03-Pixabay-CC0.jpg

街の中心にはフォルムと

呼ばれた広場もあり、

ここが市民生活の中心となっていました。

 

ポンペイには娯楽も充実していた施設跡

 

ポンペイの円形闘技場当時、ポンペイの人口は15,000人とも

推定2万人とする説もあります。

ポンペイに造られていた

野外劇場や円形闘技場は

定員1万人以上という規模の大き目のものでした。

剣闘士や猛獣が殺し合いを行ったり、公開処刑の場所と言われている。

 

紀元前80年以降、

ポンペイは大量のローマ人植民者を受け入れ、

高位公職者はローマ人で占められ、

円形闘技場や小劇場の建設、また大劇場の拡張工事は、

ローマの土木技術を反映したものだそう。

人々の交流の場でもあった、ポンペイの公衆浴場

イタリア-ナポリ-ポンペイ-遺跡-04-CC-BY-ElliottBrown-Pompeii-Terme Stabiane.jpg

入湯料はブドウ酒の4分の1程度で

公衆浴場は、市民たちにとって

誰もが気軽に入れる場所だったのです。

保存状態も良く、温浴、サウナ、水風呂、

マッサージ室があり、脱衣所も完備されていたそう。

豪邸の跡地・・・貴族の生活

 

通りに面した部分には玄関だけがあり、イタリア-ナポリ-ポンペイ-遺跡-06-Pixabay-CC0.jpg

内側に入り込んだところに

邸宅があるという仕組みだったのです。

また必ず、

玄関に雨水を溜めていた水盤がありました。

瀟洒(しょうしゃ)な中庭、食堂には壁画、

部屋からは豪商の家らしく金庫が発見されています。

 

特別展 ポンペイの構成

 

第1章 ポンペイの街:公共施設と宗教

第2章 ポンペイの社会と人びとの活躍

第3章 人びとの生活:食と仕事

第4章 ポンペイ繁栄の歴史

第5章 発掘の今むかし

で構成されています。

ポンペイ展出品目録

住民のくらし 仕事

 

職業は多種多様で、

人々はパン屋、青果店、酒場、総菜売りなどで食べ物を商ったり、

織物工場で働いたり、

鍛冶、壁画、宝石細工などの職人になったりして生計を立てていました。

パン屋の実像

 

古代ローマの街には、確かにパン屋があったのです。

現代の私達と同じように、

古代ローマ人はパンをパン屋で買っていたのです。

 

《パン屋であるテレンティウス・ネオ夫妻》

おそらくテレンティウス・ネオさんは

教養を備え地位と財産を築いた

パン屋の経営者だったのでしょう。

パン屋の窯の中から、

焼きかけのこのパン、そのものが

ポンペイから出土しているのです。

パンが真っ黒に炭化した状態で

出てきました。

普通の遺跡ではパンが出てくるなんて

ありえないことです。

ポンペイの水道

 

ポンペイには水道が引かれ、山のきれいな水が運ばれていました。

《ライオンの頭の形の吐水口》

街中に水汲み場があり、

誰でも利用することができました。

ポンペイ遺跡 共同水道(水飲み場) 写真素材

お金持ちの家や風呂場で

使われた水道の栓や、

水が流れ出る蛇口は、

現在のものとあまり変わりません。

水道は一部の富裕層の住宅にも引かれ、

例えば、「竪琴奏者の家」では、

帝政初期に大規模な改装が施され、

家の中庭にイノシシやヘビのブロンズ像から水が吹き出す

噴水つきの池が設けられていました。

 

なぜか気になる展示品??

 

画像は表示できず、

アヒルのケーキ型

仔豚型の錘(おもり)・・・日本製の蚊取り線香立てに似ている。

柄つき手洗い器…見た目はフライパン、食事前の手洗い用。

奴隷解放…人々の活躍

 

ヘルマ柱型肖像(通称「ルキウス・カエキリウス・ユクンドゥスのヘルマ柱」) 前1〜後1世紀 ポンペイ、「ルキウス・カエキリウス・ユクンドゥスの家」、アトリウム出土 大理石とブロンズ 高さ173cm<br>ナポリ国立考古学博物館蔵(Photo &copy;Luciano and Marco Pedicini)奴隷から解放され、

急激に富を蓄える者もあり、

「ルキウス・カエキリウス・ユクンドゥスの家」は、

父親の「ルキウス・カエキリウス・フェリクス」が

解放奴隷だが、銀行業で成功し、立派な邸宅を構え、

家の広間で見つかったブロンズ像は息子のフェリクスがつくらせたもの。

顔立ちにある深いしわ、大きな鼻、頬のイボなど、

自分の力で富裕層にのし上がった自信が感じられる。

繁栄ポンペイ・・・大邸宅

 

天窓、柱廊、庭園、噴水などを備えていたその造りは

地位や財力を示す手段の一つで、

富豪たちは競うように意匠を凝らし、邸宅内外の景観のみならず、

招かれた人々は、アート鑑賞を自由に、

人が芸術に触れる機会を創出していた。

アレクサンドロス大王のモザイク画で有名「ファウヌスの家」

 

ポンペイでも指折りの大邸宅。

中でも有名なのは、

あのアレクサンドロス大王のモザイク画。

アレクサンドロス大王とダレイオス3世を

描いたイッソス合戦図が出土している。

 

「ファウヌスの家」は約3000平米に当たる

ひとつの街区全体を1軒で占める、ポンペイでは最大の邸宅。

この家で飾られていた、

家の名の由来となったファウヌス像《踊るファウヌス》や

海の幸を表したモザイク《イセエビとタコの戦い》、

《アレクサンドロス大王のモザイク》を再現した映像などが

展示されており、この家の繁栄の歴史をたどることができる。

 

ヴェスヴィオ山の噴火を79年8月24日と紹介されていますが、

近年の研究では同年10月17日以降ではないかという説も

確認されています。

 

特別展 ポンペイ

《東京国立博物館 平成館》

2022年1月14日(金)~4月3日(日)

月曜日、3月22日(火)は休館

3月21,28日(月)は開館特別展公式サイト

特別展公式チケットサイトでの

購入をおすすめします。

障害者手帳で入館される方とその付き添いのみ予約不要です。

公式チケットサイトで購入した場合、

日時変更は1時間前まで3回以内で可能です。

キャンセルは前日23時59分までできますが、

購入金額の10%が手数料として必要となります。

22日後までの予約ができます。

ABOUT ME
yumiko
パソコン初心者のシルバーエイジです。自分で言うのもおかしいですが、それほど世の中の常識にとらわれることなく前向きなほうです。言い換えればマイペースです。猫2匹と暮らし、近所の犬とも無条件の信頼でつながっています。