福島宿は中山道37番目の宿場で、11宿が木曽路にあります。
昭和2年の大火によりほとんどが焼失してしまいましたが、
大火を逃れた場所は古い家並みが残っており、出梁造り
(だしばりつ”くり)・千本格子などの建物が江戸時代から残る
水場とよく調和しています。
木曽川のせせらぎを眺めながら昔の旅人気分をいっぱい
あじわってみませんか。
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中山道の宿場の役割は?
街道での移動手段は馬やかご、徒歩によるものであり、途中で
馬に給餌や馬の乗り換えが必要となりました。
また急を要する手紙などを運ぶ場合、早馬によるリレー形式で
つないでいく方が効率的であり、中継ぎの場が必要であったのです。
また旅人にとっても宿泊所や休息所がなければならない、これらの
役割を果たすために置かれたのが宿場なんです。
「東海道五十三次」は東海道の宿場の数が53、中山道はさらに多く
67の宿場が設けられました。
宿場における伝馬制度と役割
大切な荷物や書状をできるだけ早く運ぶために、
一人の人間、一頭の馬だけで最後まで運ぶと労力の負担も時間も
かかってしまいます。
そこで宿場ごとに人や馬を交代して、リレー形式で運びました。
その交代地点となったのが宿場で書状や荷物を届けたのが宿駅にいた
伝馬や人足だったのです。
宿場は宿泊施設だけではなく、物流の中継地点としての
機能もありました。
宿泊施設の役割と区別
大名や公家・幕府の役人が宿泊した本陣と、
本陣だけで収容できない場合は脇本陣
一方、庶民は食事付きの旅籠と、素泊まりのみの木賃宿に
宿泊することができました。
こうして大名と庶民はハッキリと宿泊するところが区別されました。
1840年頃、福島宿の人口が970人、家屋158軒、本陣、脇本陣
ともに各一軒、旅館14軒でした。
運送業を意味する問屋場(とんやば、といやば)の役割
その他の重要な役割として、
⓵ 幕府や大名が移動する際に必要な人足と馬を用意しておいて、
次の宿駅まで運ぶ。
⓶ 公用の書状などを前の宿場から受け取り、次の宿場まで届ける
仕事です。
そこでこれらの引継ぎ業務を行うために置かれたのが問屋場です。
街道沿いの村に課せられた伝馬の役割
街道ではいつ何時書状や荷物を届けることになってもいいように、
常に人馬を用意しておく必要がありました。
宿場ごとに、中山道では50人50頭常備することが原則として
定められていました。
伝馬の過酷な苦労
まず何といっても伝馬役の仕事は無賃、
伝馬役にかかる経費はすべてその村単位で負担しなければならない
のです。
街道の交通量は年を追うごとに増え、それに伴い伝馬の世話に
かかる費用や人足に対する負担も増えていきました。
木曽11宿間距離

贄川(にえかわ)宿⇔⇔⇔奈良井(ならい)宿 7キロ
奈良井宿⇔⇔⇔藪原(やぶはら)宿 5キロ
藪原宿⇔⇔⇔宮ノ越(みやのこし)宿 8キロ
宮ノ越宿⇔⇔⇔福島宿 8キロ
福島宿⇔⇔⇔上松(あげまつ)宿 13キロ
上松宿⇔⇔⇔須原(すはら)宿 7キロ
須原宿⇔⇔⇔野尻(のじり)宿 9キロ
野尻宿⇔⇔⇔三留野(みどの)宿 5キロ
三留野宿⇔⇔⇔妻籠(つまご)宿 7キロ
妻籠宿⇔⇔⇔馬籠(まごめ)宿 5キロ
【木曽】・古い町並みが残る福島宿上の段
福島宿【上の段の町並み】map
左上(JR中央線木曽福島駅方面)から歩いてきて、先ず八沢川を渡り、
続いて最初に左へ、続いて右へ、「枡形」部分を進むと上の段地区に
至ることになります。
大通寺や晴明社の前を過ぎると、左手に高札場を見ながら下る
「上の段坂」です。
上の段用水
冒頭の画像にあるような
この水場は宿場時代の昔から昭和の始め頃まで町内の簡易水道として
利用されてきたもの。
この水場の水は、上の段用水とよんで八沢川の上流から引水しています。
用水の歴史は古く、戦国時代、創設されたもので、現在でも防火用水と
して大きな役割を果たしています。
この右の道奥突当たりに領主山村良勝公が母堂の為に建立された
名刹大通寺があります。
晴明社(せいめいしゃ)
上の段地区の晴明社は、平安時代に活躍した陰陽師安倍晴明を
祀ったもので、大通寺内に祀られ、明治になって町内にある
水無神社に遷されていたものを、晴明没後千年にあたる
平成十六年に上の段区民によって現在の地に祀られました。
桝形(ますがた)
宿場は防塞の施設としても作られ、敵の進入を防ぐため道を
「鍵の手」に折り曲げたり、急な坂道や道の両側に石垣を作ったり、
「枡形」を設けています。
また上の段は、木曽義仲から十九代目の木曽義昌の居城
「上之段城」があったところです。
桝形は他の宿場にも造られています。
街道沿いの民家 出梁造り(だしばりつくり)、袖壁(そでかべ)
町屋は通常、街道(主要道路)に面した間口
が狭く、奥行きが深い構造になっています。
そして、普通、道側では一階よりも二階の方が
外に張り出している造りになっています。

二階部分に長めの三角形の白い壁が見えるでしょう。
袖壁は火事の時、燐家との類焼を防ぐためのものです。
福島関所資料館 関所跡
木曽福島の関所は江戸幕府が置いた関所の中でも重要なところで
四大関所の一つです。
関所が復元してあり関所の詳しい歴史や説明や武具などがあります。
木曽福島 3館共通券[興禅寺・山村代官屋敷・関所資料館]900円
木曽の湧水「水源水」付き
このチケットを持参すると「高瀬資料館」の入館料が50円割引
取扱場所 : 利用可能な各施設にて販売
開館時間(休館日 年末年始)
8:00~17:30(4月~10月)
8:00~16:30(11月)
8:30~16:30(12月~3月)
入館料 大人300円 小中 150円
駐車場 15台 無料
「木曽三大寺」の一つ【興禅寺】(長福寺、定勝寺)

山の中にこんな立派なお寺がありました!
庭園がきれいです!
「木曽義仲」「木曽義康・義昌」父子、木曽代官「山村氏」
歴代のお墓があります。
萬松山興禅寺 臨済宗妙心寺派
休館日 無休
拝観料 大人500円 子供300円
《京都の「竜安寺}より広い》

中山道の関所を守る山村代官屋敷
「山村代官屋敷」は、江戸時代の280年間に渡って木曽の地を治めた
山村氏の屋敷。
山村家は戦国時代は木曽氏の家臣で、関ヶ原の合戦後は福島関所を
はじめとした木曽11宿を治めました。
文庫や日記から再現された当時の豊かな暮らしぶりを紹介しています。

開館時間 8:30~16:30(入館は閉館の30分前まで)
入館料 2館共通券[福島関所跡・福島関所資料館、山村代官屋敷]
一般(高校生以上)550円、小・中学生275円
単独券:一般(高校生以上)300円、小・中学生150円、
休館日 無休(4~11月)木曜日(12~3月・祝日の場合は翌日)
年末年始
高瀬家藤村資料館
島崎藤村の姉である園の嫁ぎ先で、高瀬家は、山村代官の家臣で
代々関所番を務めた家柄です。
高瀬家の子孫の方が解説してくれました。
来館者も少なめな所なので、文学に興味がある人にはおすすめです。
藤村に興味があまり無い人にとっては、退屈かもしれません。
開館時間 8:30~17:00(休館日 不定期)
入館料 大人200円 子供100円
名水百選にも選ばれた「木曽川」の水
木曽川の水は、高品質かつ豊富であり、愛知県の水道水としても
利用されています。
木曽川の源流となるのは、御嶽山の湧水です。
この地域に降る雨や雪が、大地にゆっくり染みこみながら、
ろ過されることで、名水百選に選ばれるほど高品質な木曽川の水に
なるのだそうです。
御嶽山の湧水は軟水で、ミネラル含有量は、
水100ミリリットルにつき、
カルシウム約0.56ミリグラム、マグネシウム約0.12ミリグラム、
カリウム約0.24ミリグラム、ナトリウム約0.24ミリグラムだと
いわれています。
古くから幾度も氾濫をおこし、住民を苦しめてきました。
ですがその反面、軍事、産業に多く利用されてきたのも事実です。